ある日、美術館で聞こえてきた声──
「この作品、数億円らしいよ」
「うそ!?こんなの、うちの子も描けそうじゃない?」
アートの世界では、作品が何千万円、あるいは何億円で売れることもある。なぜそんなに高いのか?
それは、材料費や制作時間よりも、「誰がつくったか」による“ブランド価値”が大きく影響するからだ。
サッカー選手のサイン入りユニフォームや、有名人の使ったアイテムが高くなるのと同じように、アーティスト自身がブランドになる。
つまり、アートでは「作品」と「人」の両方が価値を持つのだ。
アートの価格が一気に跳ね上がる場所、それが「オークション」である。
たとえば、すしざんまいの社長が築地市場の初競りでマグロを1億円以上で競り落とす話は有名だ。
それ自体がニュースとなり、お店の宣伝になる。広告費と考えれば、むしろ合理的なのかもしれない。
アート界でも同様のことが起こった。
2021年、Beeple(ビープル)というアーティストのデジタル作品が、NFTという形式でおよそ90億円で落札された。
買ったのは仮想通貨で大金を得た人物で、「NFTアートの時代が来る」という自らの信念を世に示すためのメッセージでもあった。
作品を買うことが、自分自身のブランドづくりにもつながるのだ。
ZOZOの前澤氏がバスキアの作品を購入したのも、そうした“自己表現”のひとつといえる。
車やマンションには「相場」がある。新車は300万円、都心の土地は1平米あたり◯万円──というように、ある程度の基準が見える。
一方アートにも、ギャラリーでの販売価格(プライマリー価格)はある。
しかし、それは材料費や時間とはあまり関係がない。
むしろ、人気や実績、展示歴など“目に見えない価値”の割合が大きく、その価格の妥当性は判断が難しい。
さらに、アートは大量生産ができない。
需要が増えても、同じ作品を量産して供給を調整することができない。そのため、オークションなどで人気が高まれば、価格は青天井になる。
まるで“定価のない世界”のようにも見えるのだ。
アートの価格には、「推しへの応援」という意味合いも込められている。たとえば10万円の作品を買うと、作家には約5万円が入り、残りはギャラリーが運営費やプロモーション費として使う。
作家が制作に集中し、生活を成り立たせるためには、適正な価格で作品が売れることが大切だ。
そしてギャラリーにも利益が出なければ、長期的なキャリア支援はできない。
だからアートは工業製品より高い。
グッズではなく、文化をつくる人を支える“寄付”や“投資”に近い意味合いがあるのだ。
余裕がなければ支援はできない。
だが、余裕がある人こそ、社会や文化に還元すべきという考え方もある。欧米にある「ノブレス・オブリージュ」はその代表だ。
高い地位にいる人は、その立場にふさわしい責任と貢献を果たすべきだという考えである。
日本でも、自分のためだけでなく、文化をつくる人たちを応援するというお金の使い方が見直されつつある。
アートの価格は、そんな“気持ち”を乗せた数字でもあるのだ。
アートの価格が極端に高くなっていくと、「自分には関係ない世界」と感じてしまう人もいるだろう。
でも本来、アートはもっと身近であるべきだ。
だからこそ必要なのは、オークションのニュースだけでなく、「この作家ならこのくらいの価格帯で買える」という道しるべのような情報である。
それがあれば、「がんばれば自分にも買える」と感じる人が増えていく。
アートは一部の贅沢品ではなく、多くの人が関われる“未来への投資”だ。作品を買うことは、その作家の人生を支え、ひいては文化をつくる手助けになる。
そして、いつか買ったその作品が、何十年後に価値が跳ね上がるかもしれない。それもまた、アートの面白さなのだ。
上床加奈「Red」
2025年6月20日(金) ~ 7月8日(火)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F